杉本苑子(すぎもと・そのこ)

「散華−紫式部の生涯」 中公文庫

娘たちを政治の道具に、権勢をほしいままにする藤原氏。一門ながら無欲恬淡な漢学者の娘として生まれ、世の不条理を懐疑しつつ、歌や物語の世界に真実の愛を求める紫式部の、多感な青春を濃やかな筆致で描く歴史大作。

「檀林皇后私譜」 中公文庫

wikiより
檀林皇后=橘嘉智子(たちばな の かちこ)
世に類なき麗人であったといわれる。もとは嵯峨天皇の数多い夫人の一人に過ぎなかったが、桓武天皇皇女の高津内親王が妃を廃された後、姻戚である藤原冬嗣(嘉智子の姉安子は冬嗣夫人美都子の弟三守の妻だった)らの後押しで立后した。橘氏出身としては最初で最後の皇后である。

嵯峨天皇との間に仁明天皇(正良親王)・正子内親王淳和天皇皇后)他二男五女をもうけた。仏教への信仰が篤く、嵯峨野に日本最初の禅院檀林寺を創建したことから檀林皇后と呼ばれるようになる。嵯峨天皇譲位後は共に冷然院・嵯峨院に住んだ。嵯峨上皇の崩後も太皇太后として隠然たる勢力を有し、橘氏の子弟のために大学別曹学館院を設立するなど勢威を誇り、仁明天皇の地位を安定させるために承和の変にも深く関わったといわれる。そのため、廃太子恒貞親王の実母である娘の正子内親王は嘉智子を深く恨んだと言われている。

鳥や獣の飢を救うため、自分の死後に自らの死骸を埋葬することを禁じて道ばたに放置させ、それが腐乱してウジがわき、白骨化していく過程を絵師に描かせたという伝説がある。


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