東京堂出版覚え書き


東京堂出版 図書目録 2008」巻末より

東京堂出版小史〉
・1890年(明治23)新潟県湯沢の高橋新一郎が、東京神田神保町に小売業東京堂を創業。

・翌年、出版社博文館の創業者の次男大橋省吾がその業をゆずりうけ、取次業(出版物の卸売業)と出版業も始める。

・1941年(昭和16)長年、取次業の雄として活躍したが、国策により統合されたため、以後出版業と小売業に専念する。

・戦前は「日本文学前史」全12巻、「万葉集評釈」全12巻、「日本歌謡集成」全12巻、「世界美術図譜」全24巻など、文学・美術・思想・翻訳出版などを中心に出版。

・1964年(昭和39)出版部と小売部は、東京堂よりそれぞれ分離独立し、新会社東京堂出版東京堂書店として発足。

・戦後は、1951年(昭和26)に刊行した「民俗学辞典」「全国方言辞典」が学会・読書界の激賞をうけ、以後辞書を中心に刊行し出版界・読書界に“辞書の東京堂”として独自の地歩を築く。

・2000年(平成12)春、創業110年を迎え、辞書575点のほか「鎌倉遺文」全51巻など多数の巻数本・単行本を出版。

  • 出版界での本の流れは 出版社取次(卸し)本屋 → 読者、というもの。博文館はこの3つの業種すべてを押さえていたことになる。
  • 国策による出版流通の一元化が昭和16年に行われ、全国200社以上の大小取次が「日本出版配給株式会社(日配)」として統合された。東京堂取次部門?も例外にもれず吸収さることになる。

博文館 - Wikipedia 明治20年、大橋佐平により創業
東京堂出版 - Wikipedia
東京堂書店 - Wikipedia

「出版興亡五十年」小川菊松 (誠文堂新光社) より

博文館の大橋(佐平)氏は、令弟の大橋省吾氏をして東京堂を設立し、図書雑誌の取次業を開業せしめた。資力はあり、博文館発行物の背景はあり、神田神保町に大きな店舗を構えて、小売業も兼営した。固より博文館のものばかりを扱うわけではないが、同館発行の図書に、力を注いだであろうことは無論であり、博文館がこの武器を有していたことは、鬼に金棒ともいうべきである。東京堂は忽ち取次店として第一位を占め、東海堂、北隆館、上田屋、至誠堂、良明堂とともに六代取次店と称せらるに至った。

(p.15より。赤字は追記)