実験:改札出るところで前のおじさんの踵を踏んだ。うっかり。

 結果:ノーリアクション。自分の「すいません」の発声がおじさんの耳に入ったかは不明。

 よくある「最近の人間は人にぶつかったりしても謝らない」という言葉は少し一方的すぎるように思える。すれ違いざまぶつかってしまうというのは街中を歩いていれば、ままある話。でもその時に振り返ったり、そして相手を睨みつけたり、そこまではいいけれど、もしくは引き止めて怒鳴りつけたりぶん殴ったりはしないはず。

 現代社会の人間は行儀がよく、穏やかだ。だからそんなことをする人は少数派だ。

 ここで、昔の人間は気性が荒い人間が多く、教育が行き渡っておらず、無礼な人が多いと仮定する。これはもちろんただの仮定で、昔のほうが良かったことは沢山ある。でも今のほうが世の中の雰囲気は暴力の行使のような、ある種、積極的な人との関わり方をする機会が少ないように思える。というわけでこんなアバウトな仮定をとりあえずしてみる。

 思考実験:前のおじさんの踵を踏んだ。謝らなかった。

 結果  :   いたい。。(涙)

 このような社会ならば、もし靴の踵を踏むという無礼を働いたらリスクを避けるために何はともあれ自分の非礼を詫びる必要がある。謝るという行為は自分の身を守る処世術という面もある。

「ぶつかっても謝らない人間は周りに無関心な社会の現れ」とは言うけれど、無関心が好きなのは踵を踏みつける人間だけじゃなくて、踏みつけられる人間の方も、かもしれない。後ろを振り返ってくれないと謝ることもできない。


新書のタイトル式に言えば「暴力の効用」、てな感じかもしれないけれど。それもなんだか、だ。まず踵を踏まれたら後ろを振り返ってみること、と結論をとってつけたように言ってみる。踏んだのはやーさん風の人かもしれないし、美人orイケメンかもしれない。とりあえず振り返ってそいつの顔を拝もう。美orイケなら楽しい一日が始まりだ。もう片方なら・・ケースバイケース、人による。つーか偏見ですね。

いずれにせよ、そこで後ろの人間の顔を見るというのは、意外とこわい気がするのは自分だけだろうか。やっぱり。