翔ぶが如く」にだんだんハマって来た自分。結末は西南の役へと向かっているので当然の事ながら基本的に西郷隆盛が話題の中心となっている。とはいうものの西郷隆盛を取り巻く人間や大久保利通ら政府側の人間たちの思考も丁寧に追跡されているように思う。で、せつなさやらの感情が湧いてくる。。登場人物の熱い思いに感動するぜー、とか言うのではなくむしろ彼らの底にある冷静さ、一つの感情・決断が導かれている過程がある種の必然性を帯びているように見える様、それが悲劇的なように感じられる。


大久保利通は)すべて木戸孝允以下、長州派がそれ(=廃藩置県)を主唱し、奔走するにまかせていた。もし大久保がこれを言いだせば、島津久光の側近の者が、ただちに大久保を斬って捨てたであろう。大久保はその刺客の背景の顔までも思いうかべていたにちがいない。奈良原繁、海江田信義らである。
 大久保は、言わない。
 すべてこの責任を、西郷に持ちこませてしまったのである。西郷の悲痛な政治的立場はこのときから出発した、と高橋新吉は見ている。


[()内はこちら側のつけた注釈 ]


あんまりいい引用ではないかもしれないが。

西郷の末路は一つの歴史的必然であったのか。





バイオハザードⅢを観てきた。

相変わらずの科学者の不必要なほどのマッドさ加減に目をつぶれば、自分としては面白かったです。