「白い人・黄色い人」

遠藤周作の「白い人・黄色い人」を読書中。薄い本なのにしっかり読もうとしたら何日もかかる。一応色々考えながら読んでみた。

「白い人」は、醜悪な主人公とパリサイ的な神学生との対立を、第二次大戦中のドイツ占領下リヨンでのナチ拷問の場に追いつめ、人間実存の根源に神を求める医師の必然性を見いだそうとした芥川賞受賞作。・・(あらすじより)

へーそうだっけ?(←おい)
本文読んでも「人間実存の根源に神を求める医師の必然性を見いだそうとした」を導けなかった自分は理解が足らないのだろう。
まず「パリサイ」という言葉を聞いたことがなかった。とりあえず辞書を

パリサイ‐は【パリサイ派

1 キリスト時代のユダヤ教の一派。律法を厳格に守り、細部に至るまで忠実に実行することによって神の正義の実現を追求した。その結果形式主義となり偽善に陥ったが、ユダヤ教を後世に伝承することになった。ファリザイ派。

2 宗教や道徳で、形式に従うだけで、内容をかえりみない人。偽善者。形式主義者。
Yahoo!辞書 大辞泉より)

これでやっとわかりました。ちなみに家にある新潮の辞書には「パリサイびと」「文字・規則にこだわって生命に無関心な人々」とある。ファリサイとも言うらしい。ここではこんどは「生命」の部分がわからない。上の「内容」にあたるものなのか。とりあえず保留。



あらすじのような理解には遠く及ばず。インテリぶる必要はないし分かったふりをして自分をだますのは危険なのでとりあえずまた今度読んでみようか。考えたことは一応色々あるけれどここに書くのも恥ずかしいので省略。ただ読んでいて気になったのは「白い人」では言葉に頻繁にフランス語のルビが振られていたということ。これには意味があるのか。初めに考えるのは

  1. 気取ってみた。
  2. (もうちょっとまともに考えて)登場人物は全員フランス語で会話をしているのだからそれを意識させることに作者にとっては意味があった。
  3. フランス特有で歴史的背景を持つ言葉は日本語の言葉では完全にニュアンスを伝えないとしてフランス語の原語を読者に意識させている。

でもそれらしい言葉の全部に振っているわけでもない。そして文庫のp58の「革命戦争のとき、なくしたんだよ」には全体に振られている。3番の理屈では「革命戦争」だけでいいハズ。どこかの引用なら別だが。そういうことに頭をめぐらしつつ1だったらどうしようとも考える。



誰か教えてくれー。