『胡同(フートン)の記憶』加藤千洋 平凡社

胡同(フートン)の記憶―北京夢華録

胡同(フートン)の記憶―北京夢華録

町を縦横に走る毛細血管

朝日新聞の特派員として北京での二度の滞在を経験した著者による、北京の市井の人々の生活を感じさせるエッセイです。


胡同(フートン)」とは北京に見られる細い通りのことで、道幅は狭いものでは0.8メートルと、車が通れないどころの話ではない。

本書の言葉を借りれば、「町を縦横に走る毛細血管」。開発が進み近代的な建物が立ち並ぶ大通りからちょっと横道に入るだけで中国らしい家々が並んだその道を歩くことができる。

明の時代以来の古都としての北京の下町、そういうものを感じさせる場所だといっていいだろう。

ただ最近になるとやはり、さらに開発が進んで取り壊されてしまった通りも多いという。

胡同沿いには昔ながらの料理店や、住居である「四合院」やそれを利用した店舗もあり、そうしたお店について本書では触れられている。読んでいると自分も行ってみたくなる。

北京を取材する、という怖さ

特派員として北京を実際に取材されていただけあり、そうした話も面白い。

天安門事件など有名といわれる事件について実際に取材した話、自身がその場面に出くわした話も、もちろんある。

面白かったのは「独家新聞のさざ波」の章。「独家新聞」とは「特ダネ」のこと。自分は名前しか知らなかったのですが、芥川賞作家の辺見庸は著者と同じく北京の特派員をしていたそうです。敏腕を発揮して独家新聞、特ダネを連発していたのですが、そんな彼を待ち受けていたのは中国政治の空寒さで・・という話。


ところでこの章を読んだ後にバイト先の本屋に行くと、こちらが↓話題書の棚に。

しのびよる破局―生体の悲鳴が聞こえるか

しのびよる破局―生体の悲鳴が聞こえるか

偶然にもその辺見庸の本が。

中国の本屋

本屋で働く者として気になったのが「三味書屋の店主」の章。北京で骨太な書店をしたたかに営む店主の話です。

それまで(三味書屋という書店の創業時)の中国では本を売る書店というのは、国営の新華書店しかなかった。全国どこへ行っても書店の屋号は新華書店だった。民間の書店という意味では、八十八年五月に産声を上げた劉さん、李さん夫妻の三味書屋が、おそらく第一号であろう。(p123)

へえ、と思う話。中国の書店事情の本がどこかにないだろうか。


参考文献

私の紅衛兵時代-ある映画監督の青春 (講談社現代新書) 大地の子 一 (文春文庫) 北京―世界の都市の物語 (文春文庫) 胡同(フートン)―北京下町の路地 (平凡社ライブラリーoffシリーズ) 大河奔流〈上〉―革命と戦争と。一世紀の生涯 北京三十五年 上―中国革命の中の日本人技師 (岩波新書 黄版 127)