「1/2のヒーロー」七穂美也子 コバルト文庫

初体験・・(汗)

これまでコバルト文庫は3冊しか読んだことはないけれど、その中で一番面白かった。
ただ・・ボーイズラブの"行為"に描写が及ぶ本というのは・・どうも初めてでorz(自分は男)。ビーンズ文庫とかと比べると大したことはないのだろうが、うーん・・。
それにしても

セクハラもいい加減にしろ、このドSのドスケベ野郎。

ああいう行動を表現する言葉は「ドスケベ」じゃないだろう。もっとジャストミートな、「ホ○」や「ゲ○」を一切使わなかったなーと、思ったことだけメモ。

いや、話は面白かったんです。

あらすじ

主人公は高校生の瑞垣聖(みずがき・ひじり)。
土地にはなんでも見通す百目様の言い伝えがあり、その百目様を祀る百目神社がある。瑞垣家は百目神社の氏子総代を務め、地元では大きな力を持つ名家である。聖は瑞垣家の分家筋にあたる。
本家の跡取りであり、聖のいとこである瑞垣鷹矢(たかや)を聖は小さい頃から実の兄のように慕っていた。しかし鷹矢は中学から地元を離れ、東京の学校へ通うようになった。それ以来聖は鷹矢に一度も会っていない。
ところが百目神社の祭りを前にした初夏のある日、鷹矢が東京から急に帰ってきた。

心から慕う鷹矢の急な帰郷、ことさらな周囲のふるまいと鷹矢の母親の見せた涙、そして神社に一角に潜む謎の男。すべての事物を見通す百目様の正体をめぐって、同じく瑞垣家のいとこの譲葉(ゆずりは)とともに聖は村に隠された秘密を暴き、対決する。

ギャンブルと神事

あとがきによると

いかにもその場で思いついたふりをして相手を引き込む、即興的な賭けのことを、プロポジション(提案)・ベットという

そうです。

どこかで読んだ例ですが

気難しい店主がいるバーにて。カウンターから離れた席で、男Aが男Bに賭けを持ちかけた。
「あの店主の顔に今から俺が酒をぶっかける。それでもあいつがごきげんのままの方に俺は賭ける。200ドルだ。怒ったりしたら俺がお前に200ドル払う」
賭けを持ちかけられた男Bはのった。


男Aは席を立ち、酒の入ったコップを片手にカウンターへ。店主に声をかけた。
「少し賭けをしないか。俺が」言いながらカウンターの空瓶を指さす。「2メートル離れた所から、この空瓶にコップの中の酒をほうり投げる。俺が瓶の中に酒がすべて入れることができたら、100ドルだ。もし失敗したら100ドルあんたに払う」
瓶の口は細い。出来るはずはないと、店主はのった。


男Aは目測で2メートル歩いた所に立った。少しの間集中する風に目を閉じると、腕を大きく振って酒を空中にほうり上げた。
酒はカウンターの空瓶を大きくとび越え、店主の顔にかかった。
男Aはがっかりした風にふるまい、店主は顔を拭いながら、男Aから100ドル受け取れると思って、笑顔だ。


店主との賭けに"負けた"男Aは、店主に100ドル支払った。
男Aは男Bから200ドル受け取った。


結局男Aはまんまと100ドル儲かった。

「賭け」の中に「賭け」が入り込んでいるのでヤヤコシイ例ですが。
ポイントとしてはまた、あとがきからですが

相手は自分の方が有利か、でなくとも五分五分の公平な勝負と信じてかけているわけですが、実はマジックと同じく裏もタネもあって、必ず提案者に有利になるようになっています。

聖はこのプロポジション・ベットを得意としていて、身近な人を捕まえては

「じゃあいくぞ――勝負(ベット)!」

と賭けをしたがる妙な高校生。

"賭けごと"と"ファンタジー"の理想的な結婚

そんな彼がこの話では"賭け"という手段を通して神である百目様と対決するわけで、いわば"賭け"と"ファンタジー"を合体したような話といえます。
クライマックスまで読み進めると、これが無理やりに合体させた設定という感じが全くせず、自然に繋がっています。

自分は賭けごとには詳しくないですが、現在賭けごとに付きまとう"うさんくさい"イメージとは違って、おそらく昔は神事のようなものと強いつながりがあったのではないだろうか。アインシュタインの言葉で「神はサイコロを振らない」?とかなんとかありましたが、サイコロのような偶然に勝敗を委ねるというのは、自分の意思を押し通すということからほど遠い。ある意味で謙虚な態度と言える。それが何に対してかは、その人の心のありようで変わる。それを意図的に曲げるのが"イカサマ"となる。

聖が得意とするプロポジション・ベットも同じく人間の意図で結果を操作するものですが、"イカサマ"とは一線を画する。普通何の勝算もないのに自分から賭けを持ちかけるのはおかしい。上の酒をぶっかける例えでも男Bは疑うべきなのだ。それをせず引っかかるのは、むしろ引っかけられた"本人の責任"(同じ言葉があとがきでも使われている)のようなものだ。
そしてプロポジション・ベットはそれを楽しむものだという。


「一人ずもう」という神事があるそうだ。(大山祇神社 - Wikipedia
外見は土俵の上で、まわしをつけた男が一人だけでうんうんうなって最後に勝手にこてんと転ぶだけ。実際は人間の代表者と神様が相撲をとっているという設定だ。最後に人間側が負けるのは、神様に勝っていただいて豊作を祈願し、収穫を感謝するためという。
「1/2のヒーロー」の山場はこの「一人ずもう」に似ている。まあネタバレになるんですが、聖は勝負に勝つことによって神殺しを行う。しかし神様である百目様をねじ伏せるようなことはせず、神殺しという神事?を(おそらく)無意識に最も望ましい形で行ったのだろう。


"賭けごと"と"ファンタジー"の組み合わせは思ってもみなかったものでしたが、「1/2のヒーロー」は本当に絶妙な組み合わさり方だと思う。